あいさつ
本日も記事を読んでいただき有難う御座います。今回は借金編です。私の人生のどん底に至るまでの始まりの話です。もしできるなら皆さんの破滅への道をを止められるそんな記事なれば幸いです。ぜひ最後まで読んでいってください。
はじめに
この記事を見ているといいうということは、人生にかなり追い込まれているか、人の不幸話が好きな人のどちらかだと思う、だから私は、もしこの記事を読んでいるあなたが辛くて苦しんでいるのならこの言葉を送りたい。「人生を諦めないでほしい。」私の失敗談を読んで前を向いてほしい。人生諦めるにはまだ早いと。
始まりと原因
実際私が借金で困り果てた時も最後行きつくところはそこだった。首をくくるしかない。どこにも道がない。妻との言い争いの後、何も持たずに家を出て、ただ死に場所を探していたあの日、私は人生で3回目のそれを覚悟した。
2020年、当時25歳になる年の私は東京の有名なビルの最上階でフレンチの料理人をしていた、ポジションはフレンチの花形ソシエ、日々の努力が実りコース料理のソースを担当していた。当時のシェフは私がアルバイトの時から面倒を見てくれていた方で、一度は離れ離れになったものの帰ってきたときに成長していた私を見込んでソシエにしてくれていたのだが、シェフとスーシェフが仲が悪く、ソースをスーシェフに作らせたくないシェフは私に「全てお前が作れと」と言い出し、私が全てのソースを準備するという激務に追われていた。そしてその年の2月世界中でコロナが蔓延していく中で私のもとに徐々に色々な問題が出てくるのであった。
1、妻のバセドウ病の発症
2、給料の減給
3、テイクアウトという美味しくない、作りたくない業務内容が増えたこと。
4、他部署からきた仕事のできない同期が私より給料が高かったこと。
コロナが蔓延し始めてロックダウンにもなり、不安な毎日の中で次々に問題が浮上してきて5月の末にはどうすることも出来なかった、八方塞がりだった。
まずは妻の病気だがバセドウ病とは首の前にある甲状腺からホルモンが過剰に分泌されることです。頻脈、突然の体重減少、震え、睡眠障害、月経周期の変化を引き起こす。原因はストレスではないかと言われた。そして、完治するのではなく一生付き合っていく病であった。妻が気づいて病院に行ったときはギリギリ手術するかどうかの状態、薬でどうにかなるかわからない、進行したら、白血病関係の病も発症してしまうかもしれない、もしそうなったら最悪”死”もあり得るとのことだった。
長男は3歳次男は1歳でまだ幼い子供がいる中で、妻が居なくなるなんて絶対に嫌だった。だから病気に対処しないわけにはいかなかあった。
だが、治療費が必要になる、そもそも次男が生まれた段階で我が家の家計は私一人の給料ではどうにもならなくなっていたので妻には深夜、私の帰宅と入れ替えで深夜のコンビニのバイトをしてもらっていた、それなのにコロナによる業績悪化を理由に急慮が減った、そもそもサービス残業させるくせに、まともに出さなかった残業代も出さないと言い始めた。
会社は生活を守るために副業しろ言った。どこにどんな時間があるんだろうか、そして時代の流れに乗ってテイクアウトを始めろと言い出し、給料は下がるのに業務だけが増えた。
同時期に私の同期が部署移動してきたのである。同期の中では仲の良かった奴だった、話も合うし唯一の気の合う同期だったのだが、びっくりするほど仕事が出来ていなかった、業種が違うとかそういう問題ではなくただシンプルにスピードも技量も足りておらず、皆がフォローする毎日だった。そして迎えた6月、彼が私よりも社内グレードが上だったことを知らされた。もう心が限界だった。不満だらけになってしまった。
それでも料理人を辞めたくなくて、とても悩んだ、父にも相談した、シェフにも相談した。だがそもそも私が料理人であることが問題だった。
朝の7時に家を出て帰ってくるのは深夜1時、そんな生活で妻の病気の原因のストレスが何かなんてわかりようもなかった、家事、育児、家庭環境、深夜の妻のバイト、考えられる原因は沢山あった。だからひとつづつ改善するしかなかった。
そして私は6年という年月お世話になった店を辞めることにした。小学校5年から憧れた夢、高校生1年から始めた飲食業という職に幕を閉じた。
失業と新しいビジネス
人生でハローワークと失業保険にお世話になる日が来るなんて夢にも思わなかった。離職証明書をもって手続きをした。正直生活が困らないだけのお金が頂けるのは本当に有難かった。そしてコロナで始めたUber Eatsの配達員の仕事で何とか生活することはできた。同時期にFXも始めていた。早く料理人として復帰したい気持ちもあったが、妻の病気に関しては寛解には2年かかると言われていたので、ゆっくりやっていくしかなかった、求職内容も都内ではなく家の近くに変えて探していたけど、コロナ禍で雇ってくれるところはなかった、というよりもそもそも求人が出てすらもいなかった。
だから私は配達員とFXで何とかしていこう。そう思って必死に自転車に乗り、FXの勉強も頑張った。だがこの時点でこの努力が無駄だったなんて、ましてや借金が700万を超えるなんて思ってもいなかった。
本日の終わりのあいさつ
本日も最後まで読んでいただき有難う御座いました。引き続き話は続きますのでお時間があれば続きを見に来てください。他の記事も興味があれば読んでいってください。皆さんの明日の生活に好影響を与えられれば幸いです。ではまた。
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