あいさつ
本日も記事を読みに来ていただき有難う御座います。今回は私が料理人になるまでに心に影響を与えた出来事の話中学編です。
将来について考えている方や今の生活に悩んでいる方の初心に帰れるそんな内容だと思います。ぜひ最後まで読んでいってください。
料理人になる決意
小学校5年生のある夜、心に決めたことがある。”俺はコックになる”という将来の夢。それまではなんとなく、消防士かっこいい、とか警察官かっこいい、とか思っていたけど、夜勤とか筋トレとか現実を知るとやれる気がしなかった。ではなんで”コック”だったのか。
私の実家は両親共働きで、家事に関してはお手伝いという形で。兄と妹と当番制でやることになっていた。毎週金曜日はカレーの日で私たちが順番に毎週作っていた。とりわけ毎日の母の料理がおいしく無かったってわけではなかったが(たまに白米が進まないおかずもあった。)ただ純粋に自分がおいしいものが食べたくって、それを自分の手で生み出すことのできる時間だったから嬉しくて、色々無茶をした。チョコレート入れたらおいしいとか、ワイン入れたらおいしいとか、浅い知識でなんでも挑戦した、でも結果は失敗ばかりで、チョコレート味のカレーや、ワインがないからぶどうジュースで代用して一生懸命作ったブドウ味のカレー、父によく怒られた。確かに、今もし自分が父の立場だったら結構きついなって思う。一生懸命に仕事して帰ってきた晩御飯の味が激マズ。そりゃ怒るわ。本当に申し訳なかった。
でも、奇跡的においしくできる日がたまにある。そんな日はみんな笑顔で、おいしいって言ってくれた。だから考えた。「食材を1000円で買ってきて一皿500円で売って、そしたら1000円で5皿作ったら2500円。1500円のお小遣いが出る!!」我ながら天才だと思った。コックは人を幸せにして儲けられる仕事なんだって気づいた。しかも自分のお店を建てれば定年なんてなくって死ぬまで仕事ができる。しかもそれが好きなことだ。なんて最高な仕事なんだろうと。そんなことに気が付いた夜、私は料理人になる決意をした。
影響を与えた出来事
とりわけ家庭環境だけでではなく、他にも要因があって、その一つは、東京ディズニーシーだった。
幼い記憶ながら当時の行った日の事は今でも覚えている。当時は大人向けの施設だったばかりで乗れるアトラクションも少なく、ディズニーランドに比べれば、はしゃげる場所ではなかった。でも、あのヨーロッパを感じる雰囲気に、世界観に心奪われた。あんなにおしゃれで綺麗なものは見たことなかった。夜になって少し肌寒くなって両親が少し大きめのディズニーシーのロゴが入ったパーカーを買ってくれたことも嬉しかった。最後惜しみながら、ライトアップされたアクアスフィアを見上げながら帰ったのを今も覚えている。
その次に、当時のアニメからも影響があった。始まりはワンピースのサンジ。特にサンジが仲間入りする話が好きだった。「くそお世話になりました!!」このセリフがとても好き。
私は煙草も吸わないし、あそこまで女性に媚びるとこは尊敬できないが。彼のシリアスなシーンにはいつも感動したし、技の名前もカッコよかった。(中二病)
私の中での洋食の理解はその程度だったが、あの頃の自分には将来の夢として志すには十分な影響力があった。
締めとあいさつ
そんな安直な考えの私は想像もしてなかった。料理の世界がこんなに苦しくて厳しい世界だったなんて。そんな少年の”料理人”になるまでの波乱万丈、挫折の話をしていければなって思います。
本日も最後まで読んでいただき有難う御座いました。皆さんの将来の夢は何ですか?それともなんでしたか?この記事が皆さんの初心を取り戻し皆さんの生活に好影響になれば幸いです。お時間があれば他の記事もぜひ見ていってください。ではまた。
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