あいさつ
本日も記事を読んでいただき有難う御座います。今回は私が料理人になるまでに心に影響を受けた話の続きパート3です。中学編は今回で最後です。ぜひ最後まで読んでいってください。
地元の外
部活を引退する前に近くの地区でやっている大会に出た。その会場で偶然転校した親友にあった。彼が転校した後にバスケ部に入ったのは知っていて、直接会える距離に住んでいるわけででもの無いので大会でしか顔を合わせる事は出来なかった。「俺は約束通りに行けるから高校でも宜しく。」そう言われた私は濁した回答しかその時できなかった。彼がやっと携帯電話を手に入れていたので連絡先を交換をして別れた。
その同時期に女子バスケ部所属の女友達から「友達に連絡先を教えたい」と言われて、承諾したのが、運命の分かれ道だったのかのかもしれない。
私の生まれた場所には交通機関が乏しく、行動は常に自転車だった。中学生になって、練習試合とかで他の市に行くこともあったが、全部自転車だった。そんな中で誘われた高校の場所は自転車で通常1時間かかる距離の場所だった。そして、その連絡先を交換した彼女が住んでいる場所だった。
連絡先を交換したあと、3時間もたたないうちに相手から告白をされた。その時お付き合いしている彼女もいなかったし、会ってみたいと思ったからお付き合いを承諾して人生初の遠距離恋愛を経験した。実際デートしたのは2回くらいで2か月ほどしかお付き合いはしなかったが、自分の視野を広げるには十分だった。私の見たことのない場所や価値観があること。井の中の蛙大海を知らず。そんな事を気づかされた気がする。
悩みと中学最後の恋
その後、部活を引退し、各高校の学校説明会を受けて、秋になった頃両親と話して、やはり一番私の中で引っかかったのは”アルバイト”禁止だった。自分の将来のことも考えて、誘われた高校M高に進学することを決めたのだが、親戚、教師ともに、全力で反対された。とりわけM高の評判が最悪だったからだ。
偏差値39(当時)で、勉強ができないやつの最終終着点といわれているような高校だったからだ。
散々勿体ないと言われた。学級委員を三年務めて、部活では部長、県大会出場、県選抜候補までいって内申点は良い、学力も申し分ない。なのに何故なのか、やさぐれたのか、人生を棒に振る気なのか、そんなことまで言われた。そ
全てが面倒になっていく頃に、放課後よく友達と相談するようになった。ある人は私立だったり、地元で有名な名門にいく人、部活でいきたい場所があるひと、みんな色々悩んでいた。そんな受験の不満をぶつけ合いながらよく話し合っていた。その中で部活で有名な地元の高校の専門科に行きたいが、学力と技量がギリギリで受かるかわからないと不安そうにしていたが、でも明るく、元気に前向きに頑張っている人がいた。そんな彼女の姿勢に私は感化され、他人の意見よりも自分の人生の可能性が一番あるM高に行くことを決めた。M高校で何がしたいのか、何を達成するのか、10項目ずつ書いて皆を納得させることにした。親友にも連絡した、とても残念そうにしていたが私の夢を、やりたいことを応援してくれていた。本当に有難かった。そして、受験の悩みを話すことがきっかけではあったが、彼女に惹かれて、お付き合いをすることになった。これが私が地元を捨てるきっかけになるとは思いもよらなかった。
冬になって、私は同じ高校に通うことになった幼馴染と毎日ゲームしていた。だって偏差値55があるのわかっていて偏差値39の所に行くのだ、毎日暇で仕方なかった。勉強も最低限でいいし、バスケの練習も体が訛らない程度でよかったし、今振り返れば人生最後の真っ白な休みだったと思う。でも私には時間があったが、彼女には時間がなかった。技術向上の練習、塾での勉強、受験のプレッシャー、そんな毎日の中で、私との時間も作ってくれて、嬉しかったし、私も会えなくても、彼女を応援したい気持ちは本当で、彼女の負担にならないように我慢していた。それでも、彼女への”好き”という気持ちは日に増していった。
葛藤と傷
冬休みに入って、クリスマスに人生で初めてアクセサリーをプレゼントした。アクセサリーはあげることに色々な意味を持つと知っていたから重い男にはなりたくはなかったのであげるつもりは無かったけど、高校はバラバラで、気持ちは離れたくなかったから、ペアネックレスを送ることにした。夜、寒かったが会える時間がそこしかなく、いつも会っていた彼女の家の近くの河原のベンチに集まってその話したらとても喜んでくれた。二人でネックレスをつけあって、人生で初めてキスをした。それくらい彼女と一緒にいたかった。
ある日、彼女から「塾での模試の結果が良くなく、このままじゃ受からない」と言われた。あと数日で新しい年が来るそんな時だった。今思えば、彼女は不安なだけだったと思う。ただ私に慰めの言葉や、応援の言葉が欲しかっただけだったんだと思う。でもその時の私はこう思った。「私は安全な所にいてどの面下げて彼女に励ましの言葉を送れるんだ」と、私の言葉は薄い。そもそも底辺の高校に行くやつが彼氏でいいのか?彼女が私に割いている時間が彼女の将来を潰すことになるのではないのか?私が彼女の足を引っ張っている。私が好きでいればいるほど彼女に迷惑がかかっていたのだ。だから私は彼女に振られることにした。幸い高校が遠くなので、中学さえ卒業してしまえばどうでもよくなる、そう決断した大晦日、私は彼女を着信拒否した。
年が明けて数日後Kという女友達から連絡がきた。「彼女が連絡取れないって言ってるけど何してるの?」そう言われた私は適当に嘘をついて誤魔化した。Kは私の小学校からの付き合いの女の子で彼女と同じ進学先を希望していたからその時よく一緒にいたのを知っている。正直私も好意を持ちそうになるほどのいい奴ではあったが、友達としての長さがそういう関係になることがないストッパーになっていた。なんでも話せる当時唯一の女友達だった。
そんなKにも嘘をついてまで計画を実行した。現に説明したら多分止められていたと思う。そして年が明けて学校が始まって、怒り心頭の彼女とK、そして逃げ回っている私、周りは状況を読めていないが、私の計画通りにことが運びそうだった。私が嘘をついて他の友人と冬休み遊んでいたのはばれていたようで、彼女はそれはもう怒っていたそうだった。Kから話を聞くと彼女が泣きながら私と連絡が取れないと相談していたらしい。そして運も悪いが彼女の塾が年始休みだったらしく、そこで私とのデートの計画もしてくれていたらしい。胸から良心がえぐり取られる音がした。別れの言葉は覚えていない。何かを話し合った気もするけど、最後まで計画の話をしなかった。
別れたあと、私とKと彼女の仲は滅茶苦茶だった。Kは何かを察してたような気もするが、彼女は私の悪口をKに言っていた、Kは私の心配もしながら私との友人関係を続けてくれていた。だから私はKも切ることにした。夕方の公園で、「お前のこと本当は嫌いだった。二度とかかわるな。」精一杯の嘘で固めたメールを彼女に送った。一度は「噓でだよね?」と返事が来たが、嘘じゃないと嘘をついてKを傷つけた。そして、私の計画通りに、悪人になって中学最後の恋愛とともに友人を無くした。因みに私の幼馴染はKが当時好きで、私が好き放題やってしまったため、彼の恋が実ることがなくなてしまった。申し訳ない。
決断
そのあと風のうわさで彼女は無事にKと一緒に志望校に合格したことを聞いた。本当に良かったと思った。最初は受かったら復縁したかったが、そんなことも言い出せないまま、私は彼女とのペアネックレスを泣きながら蹴り飛ばした。
春、高校入学前にやっと立ち直れた。彼女との思い出の河原にいって自分の恋心と今までの自分をそこにおいて、地元を手放す決断をした。ここがスタート地点、後ろは振り返らない。この決断が間違いじゃなかったことを信じて。
今を思えば、この選択が今人生の始まりなら後悔は一ミリ見ない、ただ戻れるなら、親友と約束した高校生活や彼女との楽しい思い出、Kとの決別、失うことのなかった世界線を見てみたいただそれだけだ。もし地元を捨てる決断すらしていなかったら、私は料理人になることはなっただろう。人によっては人生において戻る場所があることはいいことだとは思う、でも私の場合は違う、過去に依存して前に進めなくなるのであれば私は過去なんていらない。退路何ていらない。ただ惨めでも前に進んでいたい。目標に、夢に近づくそのためなら、大事なものを捨てる覚悟はいつでもできてる。あの日した決断が間違いじゃなかったと証明させるために。
終わりのあいさつ
当時はスマホもなければ、インターネットをやっていると馬鹿にされる時代だった。振り返ってみても恥ずかしい過去だとは思いますが、今ではできない恋愛でよい経験だったと思っています。今回も何かしらで皆さんの明日の生活に好影響を与えられれば幸いです。お時間があれば他の記事も読んでいってください。ではまた。
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