あいさつ
本日も記事を読んでいただき有難う御座います。今回は私が料理人になるまでに起きた心に影響を与えた話中学編パート2です。この記事から読んだ方はパート1をぜひ読んでください。最後までゆっくり読んでいってください。
引退試合
6月、中学最後の大会で県大会に行くことが出来なかった。所詮、嫌々で始めたバスケで、プロを目指すほどやっていなかったから、泣くことは無かった。あったのは顧問の先生に対する怒りだけだった。今でも鮮明に思い出せるほどの決断ミス。あれは私が悪いのか、顧問の先生が悪いのか。
準決勝、相手との力量差はほとんど無かった。シーソーゲームが続き、負け越していた。でも4Qで2点差まで追いつき、同点までこぎ着けた。そして、その時にタイムアウトの要請をした、ここで流れをフラットにしたかった。どのみちギリギリの試合、流れをつかんだ方が勝つ。わかっていたから、相手のフリースローを見ながら、必死にタイムアウトを要請した、が顧問は聞き入れなかった。今の流れのまま行けると踏んだのだろう。その一瞬のすれ違いで、流れを持っていかれてしまった。
あのタイムアウトさえあれば、こんなに胸糞悪い中学バスケの最後にはならなかっただろう。中学生活の大半を費やしたものがこんな最後なのかとただ悲しかったし腹が立った。
進路の分岐
部活が終わって、夏ももうすぐ目の前になった。本格的に高校の進路を決めなくてはいけなかった。そもそも、行く高校は決めていた、N高という場所だった。偏差値は55くらいだったと思う。塾とか行っていなくてモンスターハンターをしこたまやっていた、勉強は学校の授業のみの私にはちょうどよい高校だった。
そして、部活の練習試合で何度かお世話になっていた。ちょうどスポーツ推薦というものがなくなっていて、その制度は使えなかったが、顧問の先生から、「もし来てくれるのであれば、面接のときに優遇することはできるかもしれないから、ぜひ来てほしい」とN高の先生が言っていた、と顧問の先生言われて正直驚いた。
なぜN高だったかというと、それは中1の冬、突如転校してしまった親友との約束だった。
小学校5年からの付き合いで、ほんとによく遊んだ、そして多分初めて兄妹以外で喧嘩で人を殴ったのも彼が最初だと思う。頭の出来は一緒だったから、これから作れなくなる思い出を高校で作ろう。って約束していた。
だが、問題があった、まず一つは元カノと同じ志望校だった。これは何が問題かというと、人生初めての彼女だった手前、滅茶苦茶揉めたからである、正直私はずっと好きだったのだが(そもそも一途なんで)彼女の思想と合わない部分があり、そのたびに別れて、結局4度の交際をした。最後もいい別れ方ではなかった、だからもし一緒だった場合、とんでもない風評被害生まれると確信していた。
もう一つは、バスケ部だ、好意を寄せてくれていたのは嬉しかったが、正直あそこのバスケのスタイルが好きではなかった。ゴリゴリの肉弾戦、と緻密な戦略を使っていた、私は痛いのも嫌いだし、面白くない事はしたくない。だからテクニックや個人のスキルを尊重しないバスケットが苦手だった。
そして極めつけは”バイト禁止”だった。当時は珍しくはないとは思うが、家庭の事情であっても禁止している学校だったから、コックになりたい私としては、3年足踏みという結果になることが嫌だった、せっかく入学するのに校則を破ってまでバイトして、退学なんて馬鹿らしいと思っていた。
そんなリスクを負ってまでN高に入学する価値があるのか、悩んでいた時に、ある男から連絡がきた。
「一緒にバスケット部を作らないか?」と連絡があった。話を聞くところによると、その高校には部員が少なく、先輩もいないから自由にバスケが出来る環境だった。
連絡してきた男は何者かというとMというやつで、わが校のバスケ部とライバル関係にある中学のバスケ部の奴だ。スピードがあって、パスセンスがあって、とても良い選手だった。体育大会は2日に分かれていて大体2日に残る学校のレギュラー生徒はバスケがうまい。何度も会場で会えば友達になる。そんな間柄の彼からの急なお誘いに驚きを隠せなかった。しかも、他の中学の知っている子たちも来るとのことだった、バイトも出来るらしい。あんなに最後嫌な思い出で終わったバスケットに新しい物語が始まるそんな予感がしていた。
本日の終わりのあいさつ
最後まで読んでいただき有難う御座います。私の中学最後の大会は良い終わり方では無かったですが、皆さんの中学最後の部活動はどうでしたか?たまには過去を振り返ってみて、青春時代に浸ってみてはいかかでしょうか、何か良い人生のアイデアが浮かぶかもしれませんよ。皆さんの明日の好影響を与えられれば幸いです。もし時間があれば他の記事も読んでいってください。ではまた。
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