あいさつ
本日も記事を読んでいただき有難う御座います。今回は借金編パート2です。会社をやめて個人事業主として働き、不安な日々が始まる話です。もしできるなら皆さんの破滅への道をを止められるそんな記事なれば幸いです。ぜひ最後まで読んでいってください。
パート1の記事はこちらです。26歳で700万の借金を抱えてどん底に落ちた料理人の話 | さかもとの日常~1995~
ハローワークに通う
会社を辞めてまずはハローワークに求人を探しに行く日々が始まった。漫画でしか聞いたことがなかったそんな場所にまさか自分がお世話になるなんて思いもしなかった。通う理由は失業保険を受け取る手続きと求人を探すため。失業保険について分からない方に説明しますね。
失業保険(雇用保険の基本手当のこと)とは、失業中の生活を心配しないで新しい仕事探しに専念して、一日も早く再就職してもらうために支給されるものです。
会社を辞めてからすぐに再就職先が決まれば問題ないですが、なかなかそうもいかないもの。そこで役に立つのが失業保険です。
では、どのような人が失業保険をもらえる資格があるのか?
条件としてはとりあえず次の2点です。
①離職の日以前の2年間に雇用保険に加入していた期間が満12ヶ月以上であること。
②離職日からさかのぼって1ヶ月ごとに区切った期間に、賃金の支払いの基礎となった日数が11日以上ある月が12ヶ月以上あること。
例外【会社都合退職の場合】
会社の都合で退職を余儀なくされ場合
離職日以前の1年間に6カ月以上、失業保険に加入していたこと
会社都合とは
・会社の倒産による解雇
・業績悪化によるリストラ
簡単に言うと普通に12ヶ月以上勤めていれば大丈夫です。
ただし、雇用保険は基本的には全ての事業所が加入しなければならないことになっているのですが、なかには加入していないところもごくまれにあります。また、自分が正社員ではなくアルバイトの場合は残念ながら対象外の可能性も高いです。
確かめる方法は給与明細に「雇用保険料」という項目があるかを確認すること。
給与明細に「雇用保険料」という項目があれば安心です。
②の受給期間は一つの会社で12ヶ月ということではなくて、通算で12ヶ月なので、もし今の会社には4ヶ月しか勤めてなくても、前の会社で8ヶ月勤めていれば通算で12ヶ月になり、条件をクリアしていることになります。
以上が簡単になりますが、私もお世話になった失業保険です。
前回も話しましたが、私が料理人を辞めた理由の一番は妻の病気の為です。今までできなかった事や、できる限りのサポートをするために短くて2年、寛解に向けての一歩として退職したのですが、失業保険がなければ退職するかどうかもっと悩んでいたかもしれませんし最悪会社を辞めれずにもっと悪い方向に進んでいたかもしれません。
皆さんも仕事と生活で問題が起きたら周りなんて気にしないでぜひ使ってもらいたい制度です。
条件にもありましたが、「再就職をするための期間の手当」ですので、その姿勢を見せるために、必ず月に何回かハローワークで求職面談をしなくてはいけません。
建前ではなく、実際に家の周りに無いのか探しましたが、当時はコロナパンデミックの渦中、特に飲食店の求人何て存在しなかったです。だからUber Eats配達員を頑張るしかなかった。
なぜUber Eats配達員になったのか
仕事について何も考えていない状態でやめた訳ではなかった。2020年の4月と5月、緊急事態宣言により家にいなくてはいけない時期があったと思います。
あの時私も会社から出勤停止のお話を頂いていましたので、家にはいましたが、同時に副業が解禁だったので、できることがないか考えました。そしてまず始めたのがUber Eatsの配達員。理由は3つ。
まず一つは、アルバイトは現実的ではなかった為。実際緊急事態宣言前の私の会社ではアルバイトに首切り宣言と言わんばかりのシフト削りのオンパレードだった。その結果沢山のアルバイトが辞めて行ってしまい、我々社員の負担が爆増していたから。たぶん他の飲食店同様、アルバイトとい物自体の需要が減っているんではないかと考えたからだ。
次に料理に関するインスピレーションと知見が増えると思ったから。どうゆう事かというと、当時、私の家の経済的に外食は殆どできない。だから自分の働く店か本からしか料理の引き出しを増やすことが出来なかった。別にそれが悪いわけではないが、食べに行けない自分が色々なお店を見ることができ、色々な料理を知ることができるチャンスがある、と言いうメリットがあることが魅力的な仕事だと思った。
他にも私の将来の目標にしている「自分の店を持つ」という、目標を達成させるためには、世の中にどんな個人店があるのか知らないといけないと思っていたから。高級レストランやチェーン店でもなく個人で長く経営しているお店が世の中には沢山あって、私はその中の一員になりたい。だが、皆がそうゆう風に戦って日々過ごしているのか、知らないといけないと思った。そうゆう外観からわかる知識も得られると考えたのが一番の理由だと思う。やはり調理から1秒たりとも離れたくなかった。そんな危機感を緊急事態宣言のあの時から考えていた。
最後に時間の融通がが利くところが良かった。当時私の妻は夕方の18時から深夜の1時までのアルバイトを私が休みの日にたまに行ってもらっていた。それとは別に私が仕事の日は私の帰りが24時から早朝までのアルバイトをしてもらっていた。だから自分たちの生活の中にどうやって副業を挟むのかが難しかったし、何よりも即金性がある方が良かった。それを兼ね備えていたのがUber Eats配達員だった。
当時Uber Eatsのような働き方は今までにはなく、自転車を漕ぐだけそんな都合の良い仕事はなかった。そもそもアルバイトだとすぐ帰れない場合や、シフトの時間を削られたりするが、そんなリスクのない働き方は新鮮だった。成果報酬制で働く時間は自分で決める。しかも辞める必要もない、個人事業主として働ける。そんな最先端な仕事があるなら、時代の波に乗ってみていずれなる個人事業主としての体験してみたいとも思ったから。
そんな緊急事態宣言から開けて6月半ばに妻の病気が発覚した。そして会社を辞めるのだが、緊急事態宣言のあの時にUber Eats配達員を選んで良かったと思う日が来るとは思わなかった。
大前提として病気を寛解する為には睡眠時間と生活リズムを少しでも人間のスタンダードな所に戻さなければいけなかったし、そのためにはまず深夜のアルバイトを辞めてもらうしかなかった。そして、減らした分、夕方の仕事を増や収入のバランスを取っていくしかなかった。そして完成したのが私が午前9時から17時までUber Eatsで働き、18時から妻が働くという生活スタイルだった。これは妻の寛解への第一歩になった。
新しい生活の中で生まれていく夫婦間の溝
次に生活の中での改善について取り組んだ。お互いに仕事をこなしながら家事育児をするための分担をそうするか改めて見直し、それは今まで妻だよりだった部分を見直して負担を減らすためだったが、ここで問題が発生する。結婚して約4年今まで家事育児で揉めたことがなかったが初めて価値観の違いによって衝突しあう事になった。
私は基本的に必要な時に必要な事が出来れば十分だし、家事に人生という貴重な時間を使いたくない。そして、せっかく一緒にいる時間があるのだからゆっくり映画を一緒に見たり、遊んだりする時間を作りたかったい能天気みたいな感じに見えていたんだろう。妻は考え方が違う。洗濯。床掃除、台所掃除、毎日やらないと気が済まないタイプだった。子供もまだ小さかったから、床に何かあったら食べてしまうとか、汚して沢山洗濯物があるとか、子供の食事に気を使ったり、仕方ないかもしれないが、そうゆう所で育児に対してストイックに取り組んでいたから、ストレスも多かったんだと思う。
そうゆう何気ない部分ですれ違いが大きくなっていった。片付けの仕方、掃除の仕方、物の扱い方、それぞれの見ていなかった部分が露呈してきて、些細な事で言い合いになって行った、そしてお互いに心のうちに本音を潜ませて、「してあげている」と言いう傲慢さをお互いに持ち、下手したら仮面夫婦になってたんだろうそんな状態になって行った。
だが、私の性格がそうはさせなかった。白黒つけたい主義だし、不満を抱えたまま生活を送りたくないから、気に食わないことは何でも言った、彼女もまた逆切れのように不満をぶちまけた。
5年前、妻とお付き合いを始めたあの日から現在に至るまでで一番喧嘩した時期だったと思う。
終わりのあいさつ
本日も最後まで読んでいただき有難う御座います。今回は私がハローワークにお世話になった話と失業保険について、当時のUber Eats配達員として働いた理由など話していきました。最後には夫婦間の暗雲が立ち込めてきた所で今日は終わりにしたいと思います。この先もまだまだ長い借金編ですので、お時間があるときにまた続きを読みにいてください。今回の話が皆さんの明日の生活のの好影響になれば幸いです。人生を諦める前にできることは必ずあります。私もそうでした、沢山失敗してます、まだまだこれからも沢山失敗談のお話していきますし、私の他の記事も読んで、ぜひ皆さんの生活の何かに役立ててください!!ではまた。
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